さんたんだ歯科医院
誕生日(^^♪

2月は私(院長)の誕生月でした。今回は、普段あまり話題にならない私の生い立ちをお話ししましょう。生まれも育ちもずっと府中町です。

1963年(昭和38年)の猫の日に、マツダ病院、当時は東洋工業付属病院にて、父(マツダマン)、母(同病院の看護師)の長男として、3600 g の体重で産声をあげました。

両親は当時から共稼ぎだったため、退院後は鹿児島から父方の祖母が来てくれて世話をしてもらいました。 しばらくして祖母が帰ってからは近所の
「内藤のおばちゃん」に面倒を見てもらうことになります。授乳させるのに母の仕事場に連れて行ってくれるような一生懸命な人で、親戚ではないのですがそれ以上のつきあいをさせてもらってきました。今は私が作った義歯を入れてくれています(^^)

 当時は
「鹿龍」に住んでいたため、通ったのは若竹保育所、たぶん最も悪ガキぶりを発揮していた頃だと思います。卒園してからは南小学校へ入学、唯一の習い事だった低学年から姶めた珠算では小学生の間になんとか1級の検定に合格。今も自慢の集中力はこの頃に培われたものに違いありません。

5年生のときにそれまでのアパートから現在の
「宮の町」の自宅に転居、それに伴い学校も中央小学校に転校です。ここでもたくさんの友達を作ることができ、卒業後は府中中学校に入学です。とにかく小学校時代は徹底的に遊んでいたため、受験してよその中学へ行<という意識はまるでなかったですね〜。 県下一のマンモス校で一学年が12〜13組あった中学時代は柔遺部に所属、2年生から塾に通い、充実した3年間を過ごしました。

修道高校に進学し、ハンドボール部に所属していましたが2年で退部、今にして思えばがんばりが足りなかったのかなと後悔している事の―つです。男子校というと皆さんはどのようなイメージをお持ちでしようか? 遠慮がなくて、まとまりがあって楽しかったですよ! なにより、卒業してからの絆が当時と変わらないまま、むしろ強くなったりしていることもあるのが不思議でうれしいですね。学業のほうはといいますと・・・決してほめられるようなものではなく、志のため親に無理を言い、卒業後、ハ丁堀の予備校で一年間過ごさせてもらいました。ここでも、いろいろな人たちと大切な出会いをし、何より・・・勉強・・・していました。

結果、
広島大学歯学部へ入学することができ、現在があります。あっという間に紙面が終わってしまったのでここまでになりますが、こちらのホームページ上では手渡しのお便りでは見れない秘蔵?の小さいときの写真を載せています。

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